ショートストーリー

主人公・イチゴが「喫茶 月影」にやってくる前を描いたショートストーリー。
第1話は「アモン&長谷川」、第2話は「クラマ&ノイン」、第3話は「ツキミ&イズナ」のお話です。

ショートストーリー第1話「陽光」

朽ちかけた廃ビルの一室に、銃声が響いた。
消音器を通しても尚その音はビルの壁に反響し、波打ち、やがて消えていく。
その頃になってようやく膝と肩で支えたライフルのスコープから目を離したアモンは、
息をついて背後を振り返った。広がっているのは、人気のない無機質な空間だ。

「長谷川さん、オレの仕事に興味あるんですか?」

わずかな間をおいて、音もなく長身の人影……長谷川がドアの裏から姿を現した。
長谷川は苦笑いを浮かべている。

「……よく私がここに来たのに気づきましたね。
狙撃手はスコープの先以外に意識を向けないものだと思っていましたが」

「オレは空間認識の仕方が人と違うらしくて、周囲の異常の察知が得意なんすよ。

ターゲット狙ってても、周りがどうなってるかはわかります」
アモンは銃底を支えにして立ち上がる。よいしょ、と軽く伸びをひとつ。

「それはすごいですね。しかし、私がいるのに気づいても狙撃をやめなかった理由はなんでしょう?」

「長谷川さんがどう出てくるか気になったから、かな」

「敵かどうかということですか」

「敵とまでは思ってないすけど……
オレとしては、長谷川さんのスタンスが知りたかったんですよ」

「スタンス」

アモンは銃をギターケースの中に手際よくしまいこんでいく。
なるほど、アモンの外見であれば、ギターケースを持ち歩いているのは自然だなと、長谷川はそう納得した。

「普通、誰かが誰かを殺そうとしてたら止めるでしょ。
なんで殺すのかとか、殺さなきゃいけない相手なのかとか、口出してきたり」

「私は、普通ではないので」

「そうみたいですね。長谷川さんが芯まで裏の人間ってことがわかってよかった。
月影でしか会わない付き合いだから、もしかしたら表寄りの人かなとも思ってたんで」

「……表の人間のように見えますか、私が」

肯定でも否定でもなく、長谷川は軽く首をかしげた。アモンはギターケースの蓋を閉めながら答える。

「うーん……割とまっとうな人っぽく見えるんですよね。長谷川さん」

「その自覚はありませんが」

「オレらみたいに生まれついての裏じゃないでしょ。その違いかな。
んで……ここには何しに? 白川社長はほっといていいんですか。長谷川さんボディーガードでしょ?」

長谷川は、リバー・オーグという会社の社長、白川のボディーガードだ。
会社、と言っても、裏社会の会社なので、その『仕事』は推して知るべしだが、
ヤクザほど泥臭くなくマフィアほど悪質ではない会社だと、そうアモンは判断している。
アモンの問いに、長谷川は小さく笑った。

「様子を見に来ただけですよ。この近くで社長が会合に出ているのですが、
私が周囲をチェックしたところ、廃ビルの窓から銃口のようなものが覗いているのが見えたのです」

「……えっ、マジか……、外から見えました? てか気づくかなこの環境で」

「ご安心を。普通なら廃材が突き出しているようにしか見えないでしょうから、
気づく人間は少ないと思います。ですが私は、少々気になったのでスコープで覗いてみたのです。
そうしたらライフルの銃口のように見えたので、確認の為上がってきました」

「うわー……市街地だからって油断したな……もうちょい気ィつけないとダメですね」

「大丈夫ですよ、私も運よく気づいただけですから。
ところで早めにここを離れた方がいいのでは?」

「ですね、そろそろ逃げたいかな」

「弊社の車でお送りしましょうか?」

「あー……すごい助かるけどやめときます。白川さんに借り作るの怖いですよ」

「はは、英断ですね。では」

「ええ、また月影で」

長谷川は落ち着いた足取りで廊下の奥へと消えていく。
その背を見送って、アモンはライフルを入れたギターケースを背に負った。
長谷川が去ったのとは逆側の階段を、派手に足音を立てないよう注意しながら駆け降りていく。
長谷川が、まっとうな人間に見える、というのは本当だった。彼は裏の匂いがあまりしない。
彼は裏の人間でありながら、道理を持って行動しているように見える。
……それは多分、長谷川に帰属する場所があるからなのだろう。
たとえば月影のツキミやイズナにも、月影という所属先はある。しかしそれは一方的に与えられたものだ。
ツキミやイズナには、おそらく拒否権はなかった。拒否することを望んでもいないのだろうけども。
けれど長谷川は違う。
どういう経緯があったかは知らないが、リバー・オーグへの所属、そして白川のボディーガードという仕事は、長谷川自身が選択したものなのだろう。だからこそ、『まっとうな』人間らしく見えるのだ。それが正しいにせよ間違っているにせよ、彼は彼自身で選んだ道を生きているから。
引き換え、自分はどうなんだろう。
長谷川には帰る場所がある。責任を持って果たすべき仕事がある。
でも、自分は?

「……眩しいな」

いつの間にか陽が高く昇っていて、そういえば朝から張り込んでいたのだったという事を思い出す。
昼の光は苦手だった。自分は夜の生き物だから。
アモンはギターケースを背負い直し、雑踏の中を歩き始めた。
夜の訪れは、まだ遠い。

ショートストーリー第2話「薄暮」

その診察室は、いつでも電灯がついている。
窓がないので当然のことだが、それにしても恐らく24時間365日ここはLEDで照らされていて、明かりの落ちる時間はない。
診察室とは別に自室があると医師のクラマは言っているが、ほぼここで生活しているのではないかと、ノインは疑っている。

「……定期健診の結果は異常なし。全体的に、数値としては良い方だ」

クラマは健康診断の結果用紙をノインに差し出した。
……この闇医者は自分の患者に定期検診を義務付けているので、それを断ると次からここで診てもらえなくなる。ノインは結果を受け取って、興味なさげに折りたたむ。

「次の検診は来年でいいんだよね?」

「できれば半年後だな。それと、あと5年もしたら食生活には気を遣うべきだろう」

「食生活?」

「脂質や塩分のコントロールをした方がいい。高血圧や脂肪肝の原因になる」

「おっさんみたいに言わないでよ。僕まだピチピチだし」

嫌そうな顔をしたノインに、クラマは薄い冊子を差し出した。外食の塩分がどうの、という、パンフレットだ。

「今はまだ体調に異常はないだろうが、君は連日月影であれこれ食べているだろう」

「外食ってそんなにだめ? イズナのごはんバランスいいよ?」

「月影での食事それ自体はいいんだ。問題にしているのはスイーツの方だよ。君は甘いものをとりすぎる」

「……それは……そうかもしんないけど」

「食事以外にパイ2つとミルクティー、帰る間際にパンケーキとココアなんていう食生活を続けていたら、今はよくてもいずれ体を壊すだろう」

「……毎回そんな食べてるわけじゃないし。食べない日もあるよ。
それにクラマだっておやつ食べるじゃん」

「私は甘いものを大量に食べる日は前後の食事をとらない」

「それもっと駄目じゃない?」

「食物繊維とビタミンはサプリで補うから問題ないよ」

「でも糖分が過剰にはなんないの? ……まあ、ツキミのスイーツおいしいし……」

そこまで言って、ノインは言葉を切った。何かを考え込んでいるのか、視線が床の上に落ちている。

「……ねえ、あのさ、若い女の子って甘いもの好きだよね」

クラマは怪訝な表情を浮かべた。話の前後に繋がりがない。

「……一般的にはそう言うが……君は若い女の子ではないだろう」

「僕の話じゃないよ。……今度、ツキミが、女の子預かるかもしんないから」

「それは私が聞いていい話なのか」

「ダメだね」

「なら聞かせないでくれ。余計な情報は不要だ」

クラマはデスクに向き直った。その隅には、医師のデスクには不釣り合いな大きさの道具箱が鎮座している。自分の仕事は終わったと判断したのか、それともこの話に興味がないことの意思表示なのか、クラマはその道具箱を開けると中から何やら細かい工具を取り出した。灰色の小さなパーツを組み合わせて、形を確かめている。

「クラマってほんと他人のことに無関心だよね。この診察室だけで生きてるよね。
毎日毎日、ここから一歩も出ない生活でしょ? それ楽しい?」

「私は楽しいか楽しくないかで物事を判断していない。ここは私の診察室だし、必要なものが揃っているから、ここを出る必要がないだけだ」

「……ふーん。でも、その割にはさ」

ノインはクラマの手元を指さした。その手の中では、何かの塔のようなものが作られようとしている。

「ジオラマ? ミニチュア? それでいろんな風景作ってるよね。ほんとはどっか行きたいんじゃないの?」

「行きたかったら行く。行きたくないから作るんだ」

「それは何?」

「アユタヤの寺院だな。これは屋根だ」

「そこに行ってみたいとかは思わないの?」

「…………」

クラマは寺院の屋根を組む手を止め、ノインに視線を向けた。

「どうした。なんだか私を外に連れ出したいように聞こえるが、何かあったのか?」

「んー……クラマのことはどうでもいいんだけど」

「どうでもいいんだったら話を振らないでくれないか」

「だって今他に話し相手いないし。
……閉じこもってた……っていうか、閉じ込められてる人間って、やっぱ外にいけないのは辛いのかな?」

「私は自主的に閉じこもってるから前提が違う。……もしかしてそれは、さっきの話と繋がってるのか」

「内緒」

「……本当に、余計な話を私に聞かせないでくれ。面倒事は嫌いなんだ」

「僕だって嫌いだよ。極力避けたいよね。でも……」

黙り込んだノインに、クラマは迷惑そうな表情を隠しもせずため息をついた。

「ノイン、ここは悩み事の相談所でも懺悔室でもない。なのになぜ君はいつも私にあれこれ愚痴るんだ」

「普段こんなこと言わないけどさ、クラマがそういう性格だから愚痴りやすいんだよ。
……ま、いいや。そろそろ行くね」

「次の検診は?」

「また予約する」

診察室のドアを閉め、薄明るい廊下でノインは立ち止まった。視線の先には、喫茶 月影へのドアがある。
……自分はどちらかというと、冷静な方だと思う。そうそう物事に動じるタチでもない。
そのはずなのに、これからここに連れてこられるであろう少女のことを思うと、胃のあたりが重くなるのを感じる。

「嫌だなあ……関わりたくないな」

できるだけ無関心で、できるだけ距離を空けていたい。
余計なものを抱え込んで、続けられる仕事ではないのだから。

月影は、その少女の目にはどんな場所に映るのだろう?
苦難の果てにたどり着いた楽園か……それとも。――――それとも。

ショートストーリー第3話「月影」

トランクにはいくつかの規定のサイズがある。
1・2泊用だとか、3・4泊用だとか、飛行機持込み用だとか。
ラキアの持ち込んだそれは、おそらく長期宿泊用の、かなり大型のトランクと同サイズのもののように見えた。

「……でもそれ、トランクじゃねえよな」

ぽつりと呟いたイズナの声に反応し、ツキミがイズナを振り返る。

「どうしました?」

「いや……そのトランク? それ特殊なやつなのかって思っただけ」

「ああ、このジュラルミンケースですか」

「そんだけデカくても、ジュラルミンケースつっていいのかよ」

「サイズで名称が決まるわけではないと思いますよ。
ジュラルミンさえ使っていれば、ジュラルミンケースでしょう?」

ツキミは答えを求めるように、ケースの傍らに佇むラキアに視線を向ける。が、ラキアは特に何も返事をしない。この男は生来口数が少ないのだ。ツキミはそれを気にした様子もなく、普段通りの笑顔でケースに手をかけた。

「では、こちら、受け取りました」

「……ああ」

「イズナさん、お客様が到着されましたよ」

ツキミの言葉に、イズナは眉をひそめる。

「……客とは違うだろ……」

「そうですね、違いますね。お客様ではなく、大事な預かりものです」

「大事な、ね」

揶揄したように言ったイズナの前で、言葉通り大切そうに、丁寧にツキミはジュラルミンケースを横に倒した。
それなりの重量があるはずだが、それを感じさせない動きだった。

「大事ですよ、とても。……彼女の存在が、今後の我々を左右するんですから」

ツキミの手がケースの表面を撫でる。
なぜだかその手つきが愛おしげに見えて、イズナは顔をしかめた。
……どうにもさっきから、嫌な気分だ。

「……そういう話はやめろ。聞こえてたらどうすんだ」

「薬が抜けきるまでにはあともう少しかかる。まだ数分眠っているはずだ」

答えたのはラキアで、運び屋としての自負なのか、『荷物』の状態の管理はさすがに細かい。
多分その言葉に間違いはないのだろうと思いつつも、イズナは続けた。

「つっても、薬は個人差あるだろ。体調とかそういうのでも」

「いえ、その辺の誤差は、彼女に関してはないと思いますよ」

ケースから手を離さず、ツキミが答えた。

「彼女にどの薬がどのくらい効くか、どうすれば何分意識を失うか、その辺は調べつくされているようなので、データに間違いはないでしょう。まあ、眠りはかなり浅くなってきてはいるでしょうけどね」

「……データ」

イズナはまた眉をひそめた。
この会話、空気、どうにも居心地が悪い。
それはおそらく、どういう態度をとるか決めかねているからだ。同情するべきなのか、突き放すべきなのか。
仕事と割り切って接するのが通常運用なのだろうと思っているが、ツキミの態度がいつもと違うように感じる。
だから自分も引きずられる。

「……んで?」

「なんですか?」

「そいつ、あとどんくらいで起きるんだよ」

「完全に起きるのは、10分前後ですね」

「……開けといてやれば、蓋」

「あと5分もしたら開けますよ。早めに開けて、無理に覚醒を促したくないんです」

「……お優しいことで」

「大変な思いをしてきた人なので、優しくしてあげることも大事では?やっと休息できる場所に来たんですから」

「……休息? ……こんな、殺し屋だらけの場所で?」

「殺し屋だからといって悪人というわけではないでしょう」

「犯罪者であることは間違いねえだろ」

「でもあなたのような善い人もいます。……この月影で、安心して過ごしてもらえるといいのですが」

「……くだらねえし意味わかんねえ」

イズナはツキミのこういう、飄々としたところが好きではない。
嫌いでもないのだが、まともに相手をしているのが馬鹿馬鹿しくなる。
そしてこの男のこういうところは、多分意図的に作ったものではなく天然なのだ。
一度ツキミの倫理観や善悪の基準を聞いてみたいものだが、どれだけ話しても意思の疎通が図れる気がしない。

「……まだ時間あんな。ラキア、コーヒー飲むか」

カウンターの内側へ向かおうとしたイズナを、ラキアが止めた。

「彼女が無事そちらの手に渡ったのを確認したらすぐに出る。今はいい」

「この時点でも、大丈夫だと思いますけどね」

「何かのトラブルで、ケース内で死んででもいたら困る」

「……ああ、確かにそういうこともありえますね。……では、起こしますか」

「その方がいい。安否確認だ」

「わかりました」

ツキミはケースに手をかけた。ロックを開けるには認証をいくつかクリアする必要がある。
イズナとラキアは、それぞれ椅子にもたれてその様子を見つめた。

カチっと軽い音がして、すべての認証が終了した。ツキミはケースの蓋をゆっくり持ち上げる。
ギイッ、とドアが開くような音がした。

「……ああ、やっぱりまだ……
……ん? ……いや……」

ごく小さな呟きの最後に、軽い驚きが混ざる。そうして、ツキミは笑みを浮かべた。優しく優しく、ケースの中に語りかける。

「――――お目覚めのようですね。起きられますか?」