ショートストーリー第1話「陽光」
朽ちかけた廃ビルの一室に、銃声が響いた。
消音器を通しても尚その音はビルの壁に反響し、波打ち、やがて消えていく。
その頃になってようやく膝と肩で支えたライフルのスコープから目を離したアモンは、
息をついて背後を振り返った。広がっているのは、人気のない無機質な空間だ。
「長谷川さん、オレの仕事に興味あるんですか?」
わずかな間をおいて、音もなく長身の人影……長谷川がドアの裏から姿を現した。
長谷川は苦笑いを浮かべている。
「……よく私がここに来たのに気づきましたね。
狙撃手はスコープの先以外に意識を向けないものだと思っていましたが」
「オレは空間認識の仕方が人と違うらしくて、周囲の異常の察知が得意なんすよ。
ターゲット狙ってても、周りがどうなってるかはわかります」
アモンは銃底を支えにして立ち上がる。よいしょ、と軽く伸びをひとつ。
「それはすごいですね。しかし、私がいるのに気づいても狙撃をやめなかった理由はなんでしょう?」
「長谷川さんがどう出てくるか気になったから、かな」
「敵かどうかということですか」
「敵とまでは思ってないすけど……
オレとしては、長谷川さんのスタンスが知りたかったんですよ」
「スタンス」
アモンは銃をギターケースの中に手際よくしまいこんでいく。
なるほど、アモンの外見であれば、ギターケースを持ち歩いているのは自然だなと、長谷川はそう納得した。
「普通、誰かが誰かを殺そうとしてたら止めるでしょ。
なんで殺すのかとか、殺さなきゃいけない相手なのかとか、口出してきたり」
「私は、普通ではないので」
「そうみたいですね。長谷川さんが芯まで裏の人間ってことがわかってよかった。
月影でしか会わない付き合いだから、もしかしたら表寄りの人かなとも思ってたんで」
「……表の人間のように見えますか、私が」
肯定でも否定でもなく、長谷川は軽く首をかしげた。アモンはギターケースの蓋を閉めながら答える。
「うーん……割とまっとうな人っぽく見えるんですよね。長谷川さん」
「その自覚はありませんが」
「オレらみたいに生まれついての裏じゃないでしょ。その違いかな。
んで……ここには何しに? 白川社長はほっといていいんですか。長谷川さんボディーガードでしょ?」
長谷川は、リバー・オーグという会社の社長、白川のボディーガードだ。
会社、と言っても、裏社会の会社なので、その『仕事』は推して知るべしだが、
ヤクザほど泥臭くなくマフィアほど悪質ではない会社だと、そうアモンは判断している。
アモンの問いに、長谷川は小さく笑った。
「様子を見に来ただけですよ。この近くで社長が会合に出ているのですが、
私が周囲をチェックしたところ、廃ビルの窓から銃口のようなものが覗いているのが見えたのです」
「……えっ、マジか……、外から見えました? てか気づくかなこの環境で」
「ご安心を。普通なら廃材が突き出しているようにしか見えないでしょうから、
気づく人間は少ないと思います。ですが私は、少々気になったのでスコープで覗いてみたのです。
そうしたらライフルの銃口のように見えたので、確認の為上がってきました」
「うわー……市街地だからって油断したな……もうちょい気ィつけないとダメですね」
「大丈夫ですよ、私も運よく気づいただけですから。
ところで早めにここを離れた方がいいのでは?」
「ですね、そろそろ逃げたいかな」
「弊社の車でお送りしましょうか?」
「あー……すごい助かるけどやめときます。白川さんに借り作るの怖いですよ」
「はは、英断ですね。では」
「ええ、また月影で」
長谷川は落ち着いた足取りで廊下の奥へと消えていく。
その背を見送って、アモンはライフルを入れたギターケースを背に負った。
長谷川が去ったのとは逆側の階段を、派手に足音を立てないよう注意しながら駆け降りていく。
長谷川が、まっとうな人間に見える、というのは本当だった。彼は裏の匂いがあまりしない。
彼は裏の人間でありながら、道理を持って行動しているように見える。
……それは多分、長谷川に帰属する場所があるからなのだろう。
たとえば月影のツキミやイズナにも、月影という所属先はある。しかしそれは一方的に与えられたものだ。
ツキミやイズナには、おそらく拒否権はなかった。拒否することを望んでもいないのだろうけども。
けれど長谷川は違う。
どういう経緯があったかは知らないが、リバー・オーグへの所属、そして白川のボディーガードという仕事は、長谷川自身が選択したものなのだろう。だからこそ、『まっとうな』人間らしく見えるのだ。それが正しいにせよ間違っているにせよ、彼は彼自身で選んだ道を生きているから。
引き換え、自分はどうなんだろう。
長谷川には帰る場所がある。責任を持って果たすべき仕事がある。
でも、自分は?
「……眩しいな」
いつの間にか陽が高く昇っていて、そういえば朝から張り込んでいたのだったという事を思い出す。
昼の光は苦手だった。自分は夜の生き物だから。
アモンはギターケースを背負い直し、雑踏の中を歩き始めた。
夜の訪れは、まだ遠い。